Jリーグが開幕した1993年。日本ではJリーグブームが巻き起こり、人々は熱狂した。
記念すべきJリーグ開幕試合に指名されたのはJSL時代の黄金カード「ヴェルディ川崎vs横浜マリノス」だった。
現在のJリーグ(J1)では18チームでリーグを争っているが、この当時の参加チーム数はたったの10チーム。
今回はJリーグ元年を振り返ってみましょう。
目次
参加チーム
チーム名(前身) |
鹿島アントラーズ(住友金属) |
浦和レッズダイヤモンズ(三菱自動車) |
ジェフユナイテッド市原(古河電気) |
ヴェルディ川崎(読売クラブ) |
横浜マリノス(日産自動車) |
横浜フリューゲルス(全日空) |
清水エスパルス(清水FC) |
名古屋グランパス(トヨタ自動車) |
ガンバ大阪(松下電器) |
サンフレッチェ広島(マツダ) |
この10チームがJリーグ開幕の記念すべき参加チーム達である。
この10チームのことをオリジナル10と呼ぶ。
Jリーグの前身的であるJSL(日本サッカーリーグ)時代、凌ぎを削った企業のサッカークラブ達がJリーグの栄えある1期生として選ばれた。その中で清水エスパルスのみ前身が企業のサッカークラブではなく企業が運営していない社会人サッカークラブである清水FCが前身だった。サッカーが盛んな静岡県清水市のブランド力をJリーグ協会から高く評価され、Jリーグへの参加が認められた。
Jリーグ開幕前の下馬評では、JSL後期に黄金時代を築きつつあった読売クラブと日産自動車を前身とするヴェルディ川崎と横浜マリノスが優勝争い筆頭株であった。
順位
各ステージの順位は勝利数で決まる。(勝利数が1番多いチームが優勝となる)
また1st王者と2nd王者がチャンピオンシップで対決し、その勝者が年間優勝チームとなる。(チャンピオンシップの勝者は年間1位、敗者は年間2位となる)
サントリーシリーズ(1st)
順位 | チーム | 勝利数 |
1 | 鹿島 | 13 |
2 | V川崎 | 12 |
3 | 横浜M | 11 |
4 | 清水 | 10 |
5 | 市原 | 9 |
6 | 広島 | 9 |
7 | 横浜F | 8 |
8 | G大阪 | 8 |
9 | 名古屋 | 7 |
10 | 浦和 | 3 |
開幕前の下馬評を覆し、鹿島アントラーズが初代ステージ優勝チームとなる。
優勝候補のヴェルディ川崎が2位。同じく優勝候補の横浜マリノスは3位。
そして鹿島と同様に下馬評が決して高くなかった清水エスパルスが4位と大健闘。
やや波乱の幕開けとなったファーストステージでした。
ニコスシリーズ(2nd)
順位 | チーム | 勝利数 |
1 | V川崎 | 16 |
2 | 清水 | 14 |
3 | 横浜M | 10 |
4 | 鹿島 | 10 |
5 | 広島 | 9 |
6 | G大阪 | 8 |
7 | 横浜F | 8 |
8 | 名古屋 | 5 |
9 | 市原 | 5 |
10 | 浦和 | 5 |
日本代表選手が数多く在籍していたヴェルディ川崎が本領発揮し、2ndステージ王者に輝いた。
1stステージで好調だった清水エスパルスが2ndステージでも強さを維持して堂々の2位。
1stステージ王者の鹿島はやや調子を落として4位。
タレント軍団ヴェルディ川崎の1番の対抗チームである横浜マリノスは4位とやや物足りない順位だった。
チャンピオンシップ
【出場チーム】
サントリーシリーズ(1stステージ)王者・鹿島アントラーズ
ニコスシリーズ(2ndステージ)王者・ヴェルディ川崎
【結果】
第1戦 | 鹿島 | 0-2 | V川崎 |
第2戦 | V川崎 | 1-1 | 鹿島 |
2戦合計 | V川崎 | 3-1 | 鹿島 |
チャンピオンシップではヴェルディ川崎が2戦合計3-1で鹿島アントラーズを下し、初代Jリーグ年間王者に輝いた。
第1戦はヴェルディ川崎のカズとビスマルクがゴールを決めて2-0で快勝。
第2戦は鹿島アントラーズのアルシンドが先制ゴールを挙げて逆転優勝への望みを繋ぐも、終盤にヴェルディ川崎のカズに同点ゴールを決められてしまい万事休す。
年間順位
順位 | チーム | 勝利数 |
1 | V川崎 | 28 |
2 | 鹿島 | 23 |
3 | 清水 | 24 |
4 | 横浜M | 21 |
5 | 広島 | 18 |
6 | 横浜F | 16 |
7 | G大阪 | 16 |
8 | 市原 | 14 |
9 | 名古屋 | 12 |
10 | 浦和 | 8 |
(※年間順位はチャンピオンシップの勝者が1位、敗者が2位。3位以下は勝利数順となる)
1stステージ、2ndステージ共に上位4チームはヴェルディ川崎、鹿島アントラーズ、清水エスパルス、横浜マリノスの顔触れだった。この4チームを中心にリーグ戦が進んだと言える。
そして年間順位を見ると、ヴェルディ川崎の勝利数がやや抜けている。やはり長いリーグ戦では戦力が整っているチームが強さを発揮する。
今現在(2017年)では優勝争いの常連である浦和レッズは年間わずか8勝で断トツの最下位となっている。今では考えられないくらい弱かったんですね。
上位チーム解説
ヴェルディ川崎
1993年Jリーグが開幕した当時のヴェルディ川崎はまさにスター軍団だった。
日本代表の柱谷哲、ラモス、カズ、武田、北澤、ビスマルク、ペレイラなどの実力者が在籍し、戦力は間違いなくJリーグNo.1だった。
当時ヴェルディ川崎のスポンサーにはプロ野球のお金持ち球団である巨人を運営している読売新聞社がついており、その豊富な資金で代表クラスの選手がずらりと揃う豪華なメンバーが整っていた。
前評判通りの強さを発揮し、ヴェルディ川崎がJリーグ初代チャンピオンに輝いた。
鹿島アントラーズ
リーグ参加10チームで唯一JSL2部からの参戦となった鹿島アントラーズ。他の9チームは全てJSL1部からの参戦だった。
大方の予想を覆し、鹿島アントラーズは開幕の大勝から勢いに乗り、見事1stステージ優勝を飾る。2ndステージも4位に食い込み、ヴェルディ川崎とのチャンピオンシップに臨むも惜しくも敗れてしまい、年間2位でリーグ戦を終えた。
そんな鹿島アントラーズの快進撃を支えたのは元ブラジル代表の名選手ジーコ(当時40歳)だった。ブラジル代表の中心選手として過去3度W杯に出場し、世界最高の選手と評価され、ブラジルでは「白いペレ」日本では「サッカーの神様」というあだ名が付く程、偉大な選手だった。選手としての全盛期はおそらく過ぎていたジーコだったが、その実力はまだまだ健在で鹿島アントラーズ躍進の原動力となった。
またジーコが連れてきたブラジル人FWアルシンドが得点ランク2位の22得点を挙げる大活躍。このアルシンドの存在も非常に大きかった。
横浜マリノス
JSL時代、ヴェルディ川崎(読売サッカークラブ)と2強と言われていた横浜マリノス(日産自動車)。当時この2チームの対決は黄金カードと言われていた。
横浜マリノスは開幕戦でヴェルディ川崎に勝利したものの、年間勝利数ではライバルのヴェルディ川崎に大きく離される形となり、年間4位でシーズンを終えた。
元アルゼンチン代表FWラモン・ディアスが得点王に輝く活躍ぶりだった。
守備陣には日本代表のセンターバック井原正巳、日本代表の正ゴールキーパー松永成立などのタレントも在籍していた。
清水エスパルス
サッカー王国静岡でサッカーが盛んな地域で有名だった清水市をホームタウンとする清水エスパルス。
前評判は決して高くなかったが、2ndステージに加入したGKシジマールなどの活躍により、年間3位でフィニッシュ。
かつてやべっちFCで解説役を務めた堀池巧が清水エスパルスから唯一のベストイレブンに選出される程の活躍を見せて、チームの上位進出の原動力となった。
表彰
ベストイレブン
ポジション | 選手名(チーム) |
GK | 松永成立(横浜M) |
DF | 大野俊三(鹿島) |
DF | 柱谷哲二(V川崎) |
DF | ペレイラ(V川崎) |
DF | 井原正巳(横浜M) |
DF | 堀池巧(清水) |
MF | サントス(鹿島) |
MF | 本田泰人(鹿島) |
MF | ラモス瑠偉(V川崎) |
FW | 三浦知良(V川崎) |
FW | ディアス(横浜M) |
ベストイレブンに選ばれているチームは主に3チームに分かれています。年間優勝のヴェルディ川崎から4人。鹿島アントラーズと横浜マリノスから3人ずつ。そして清水エスパルスから1人。という感じでV川崎、鹿島、横浜Mの3チームが独占と言った感じですね。
ベストイレブンに選ばれたヴェルディ川崎と横浜マリノスの選手は当時日本代表のレギュラーだった選手達で物凄い豪華な面々である。チーム戦力の充実さが伺うことができる。
得点ランキング
順位 | 選手名(チーム) | 得点 |
1 | ディアス(横浜M) | 28 |
2 | アルシンド(鹿島) | 22 |
3 | 三浦知良(V川崎) | 20 |
4 | 武田修宏(V川崎) | 17 |
5 | パベル(市原) | 16 |
6 | エドゥー(清水) | 13 |
7 | 永島昭浩(G大阪) | 12 |
8 | 高木琢也(広島) | 11 |
8 | 黒崎久志(鹿島) | 11 |
10 | 前田治(横浜F) | 10 |
10 | 長谷川健太(清水) | 10 |
10 | チェルニー(広島) | 10 |
【大物ストライカーが得点王に輝く】
得点ランクトップの28得点を記録した横浜マリノスFWラモン・ディアスは元アルゼンチン代表の経歴を持つ大物ストライカーだった。かつてはアルゼンチンの名門リーベル・プレート、イタリアの名門インテル、フランスの名門モナコなど各国の強豪クラブでプレー。抜群の決定力を誇る左足でファンを魅了した。
【日本代表エースが上位にランクイン】
当時日本代表の絶対的なエースだったカズが堂々の3位にランクイン。この当時はカズ独特のステップとキレのあるドリブルを得意としていた。決定力も素晴らしいモノがあり間違いなく日本No.1のFWだった。
ちゃっかり武田修宏が4位にランクインしています。このときは武田が後にタレントで活躍するなんて誰も思っていなかったでしょう。
個人タイトル
最優秀選手 | 三浦知良(V川崎) |
得点王 | ディアス(横浜M) |
新人王 | 澤登正朗(清水) |
優秀監督 | 松木安太郎(V川崎) |
【Jリーグ初期といえばやはりあの人】
今現在(2017年)でも現役で活躍中の三浦知良が栄えあるJリーグ初代MVPに輝きました。当時カズの年齢は26歳です。サッカー選手としては1番活躍時と言える年齢です。この年、カズはアジア最優秀選手にも選出されている。カズのベストイヤーとも言えるシーズンの1つだった。この時のカズは名実ともに日本サッカー選手のトップだった。
【人気解説者が優秀監督賞を受賞】
今では独特のサッカー解説で絶大な人気を誇る松木安太郎がスター軍団のヴェルディ川崎を率いて最優秀監督に選出されています。これは今の松木さんしか知らない若い世代の人達には考えられないと思います。優勝監督になれたのはヴェルディ川崎が圧倒的な戦力を誇っていたからと思う方もいるかもしれませんが、個性が強い集団を上手く統率したとも言えるんじゃないでしょうか?優秀監督賞なんて数える程の人しかなれないですし、素直に凄いと思います。
以上、懐かしい1993年Jリーグの歴史でした。
今現在のJ1にいるチームの名前があまり見当たりません。今から25年前のことなので当然と言えば当然なのかもしれません。
またJリーグ開幕当時と現在では、優勝争いするチームなども大きく違います。
鹿島アントラーズは今や常勝軍団と言われており、優勝争いが当たり前のチームですが、当時はダークホース的な扱いだったんです。
また今現在では強豪と言われているガンバ大阪、浦和レッズもこの時代はなかなか勝てず下位に沈んでいたのです。とても信じられません。